#05 密かに、続く、廃棄物

出品作家:辻郷 晃司

​企画:烏山 秀直


会期:2019年6月15日(土) - 2019年7月14日(日) / 14:00-19:00
オープニング:6月15日(土) 17:00-

気がつくと、イメージが浮かんでいます。日常に潜むユーモア、ふとした瞬間の感動、心身に刻み込まれた記憶、不安定な情緒に由来する欺瞞、焦燥、失望。
私の心を渦巻く様々な作用が歪み、ねじ曲がって私を白紙の前へと向かわせます。
鉛色で立ち現れるこれらまとまりのない描画の数々は忘れられない情景やふくらんだ空想奥底に隠れる鬱的気質などの未熟な精神の断片を日々いじくる過程でできてしまったいわば、「廃棄物」のようなものなのです。(お絵描きは僕にとって、慰みなんだと思います。)(僕は子供の頃から、社会不適合な人格でありながら、打たれ弱く、その上、気が小さくて悩みを吐露することも出来ない、まぁ、ちょっと恥ずかしいくらい、苦しく、生きづらい人生を送ってきたんですが、)
絵を描くことはそんな人生の中で僕の心の拠り所になっていたんだと思うんです。
多分、癒しを得られれば、何を対象とするか、何を意図するのかっていうところは結構どうでもよくて、白紙の中に何か言葉で形に出来ない、その時の感情の機微というか、しょうもない思いつきというか、そこらへんのものが投影されていれば、それだけで心が落ち着くんです。
僕はこのまとまりのないドローイングに「自画像」とか「軌跡」みたいな高尚な言葉はあんまり使いたくなくて、例えば「自慰行為の後の紙くず」とか「燃えるゴミのゴミ袋の中」みたいな、恥ずかしくて、汚くて、生々しい、普通人には見せないもの、でも、生きてく上でどうしても出てしまうものが言葉としては適当なんじゃないかなって思うんです。
そうですね。このドローイングは、いわば、鉛色であらわれた僕の「廃棄物」と言えるのかもしれません。
「廃棄物」はどんどん増えてます。
やっぱり、生きることはそれだけ苦しいから。(辻郷晃司)

辻郷晃司 Koji TSUJIGO

1992年 長崎県生まれ
2016年 多摩美術大学卒業
現在、川崎市内の印刷会社勤務

夜が明けると起床し、日が沈むと晩酌をしながら眠りに付く淡々とした日々を送る・・・
辻郷くんとはそんな人物だ。彼と知り合って8年経つのだが、私と会う機会があれば必ず描き溜めた小さなスケッチブックを何冊も持ってきては見せてもらっている。自分自身を明るく振舞おうと見せる作品は、どこか孤独感や切なさが滲み出している。
これらの描かれている膨大な作品のタイトルは全て「無題」である。呼吸をするように、自然な振舞いのような中で描いた数々の作品を彼は『廃棄物』と呼んでいるのはタイトルをわざわざ付ける必要はないからであろう。その日あった事、気になった事を回想し、数秒で、時には1ヶ月程をかけて1つの作品を吐き出す。そこには多種多様な時間や空間、シルエットや質感それぞれの幅があり、また互いが複雑に絡み合う。紙と鉛筆というシンプルな素材で描くため、益々それらの幅や質感が見るものに訴えかけてくることになる。
今回はじめて彼が何も求めずに行っているこの内向的儀式を、外部の眼に晒す機会を得た。自身が『廃棄物』という作品たちを公にした時、彼も含め見た者に一体どのように映るのであろうか。声高に己の顕示欲や立ち位置の正当性など、存在を強く叫ばなければならないと強迫観念に陥りそうな昨今の日常や流れに対し、対極にある辻郷くんのスタンスはもしかすると、誰も気づかない次代の静かな抵抗者であり、物言わぬ代弁者なのかもしれない。なにも彼だけが特別ではない、誰もが表現者となりうる可能性を秘めていることを示唆し、密かに吐き出し続けているのだ。(烏山秀直)

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